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能楽トリビアTrivia

Question119 幕末の大老・井伊直弼は、能・狂言作家だった?(2013年1月12日追加)

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江戸時代幕末の大老、井伊直弼は、「安政の大獄」や「桜田門外の変」などの事件から、横暴な専制政治家のイメージが強いのですが、文化人として、傑出した人物でした。

近江彦根藩の藩主であった井伊家は、能好きの藩主を輩出しました。シテ方では主に喜多流が、狂言方では大蔵流が召抱えられていました。

直弼は、13代(11代とも)*藩主の十四男で、通常ならば藩主にはなれない部屋住みの境遇に生まれました。兄たちの死により、後に15代(13代とも)*藩主となるのですが、部屋住み時代には、書や絵、歌、茶の湯、能・狂言などの風雅の世界に没頭し、日々を過ごしました。茶道の「一期一会」という有名な言葉も直弼によるものです。

彼は能・狂言に造詣が深く、みずからも作品を作り、1曲の能と2曲の狂言が残されています。能は琵琶湖を舞台とし、祝言の色濃い「筑摩江(つくまえ)」です。また狂言のひとつは「鬼ヶ宿(おにがやど)」で、もう一曲は復曲「狸の腹鼓(俗称「彦根狸」)」です。狂言作品は、彦根藩お抱え狂言師であった茂山千五郎に与えられました。現在でも、この2曲は、茂山千五郎家にとって特別な曲として扱われています。ちなみに、「鬼ヶ宿」は、9世茂山千五郎により初演されましたが、それは「桜田門外の変」の数日前だったということです。

井伊家の居城であった彦根城には、能舞台もありました。この舞台は、往時の面影のまま、現在も彦根城博物館にあり、演能の催しなどに使われています。

井伊家では、2回にわたって藩主を務めた人物が2名いるため、何代目藩主にあたるかが、2通りになる場合があります。


イラスト:坂木浩子
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「能楽トリビア」は作成にあたってこちらの文献を参考にしています。


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