トップページへ
SITE MAP
FEATURE

能楽トリビアTrivia

Question38 豊臣秀吉は能の“名優”だった? (2008年8月18日追加)

イラスト

能の変遷を見る際、豊臣秀吉が果たした役割はとても大きなものです。自ら演じる側に立って能の世界に没頭し、権力者として能文化を積極的に庇護しました。

金春流に学んだ秀吉は、能を舞うことを大変に好み、たくさんの興行を催しました。徳川家康や前田利家などにも演じさせた演能の舞台を、3日間開催したこともありました。そのとき秀吉自身は、3日間で16番の能を舞うという、のめり込みぶりを示しています。演目の数も多く、難しいものも含まれていて、秀吉を筆頭に、戦国武将は、それほどの名優なのかと驚く内容です。とはいえ、これは権力者が自己満足で催したものともいえ、質そのものが伴ったかは定かではありません。秀吉の謡は満足なものではなかったとも言われています。

また秀吉は、自分の足跡を美化したと思われる能をいくつも作らせて、舞ったそうですから、その自己満足の程がわかります。有名なところでは、自分が明智光秀を討ち取った話をもとに作らせた「明智討」という能があり、自ら舞っています。

秀吉は能役者の社会にも大きな影響を及ぼしました。秀吉は金春太夫を贔屓にし、大和猿楽四座には扶持を与えて保護する一方、四座以外の宇治猿楽、丹波猿楽等の役者を四座に所属させるなどしました。やがて大和猿楽四座に流派がまとまるきっかけのひとつと言えるでしょう。


イラスト:坂木浩子
今までのトリビア

「能楽トリビア」は作成にあたってこちらの文献を参考にしています。


免責事項お問い合わせリンク許可運営会社
Copyright© 2019 CaliberCast, Ltd All right reserved.