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宮島 厳島神社の海上の能舞台 ©the-noh.com |
能舞台は、観客席(見所)と舞台の間に緞帳も幕もなく、極度に簡略化された空間です。もともと、能舞台は野外にありました。能楽堂に収められた現在も、舞台に屋根がついていたり、欄干のある渡り廊下が伸びたり、松ノ木が立っていたり、というのは、野外の能の舞台を再現するためであり、さまざまな工夫がなされています。
たとえば、橋掛かりに植えられている一ノ松から三ノ松は、手前から次第に小ぶりになりますが、これは遠近法を用いた工夫です。照明も自然光と同様の状態を作り出すため控えめになっています。
そして、音響上の工夫も成されています。能舞台の床下や橋掛がりの下に、大きな甕(かめ)を据える場合があります。これは、適度な吸音効果をもたらし、足で踏む拍子の響きをよくするばかりではなく、笛や太鼓といった囃子の音、謡の声にも影響するといわれています。(国立能楽堂の舞台にはありません)
能舞台は檜で作られています。舞台中央の後方に「鏡板」。舞台前方に「階(きざはし)」。向かって左に「橋掛かり」、その奥に幕があります。この形式が確立したのは、織田信長の活躍した時代より少し前だろうと推測されています。現在の構造になった最古のものは、秀吉が作らせたという西本願寺の北能舞台です。
能舞台は、本舞台、橋掛がり、後座、地謡座からなっています。本舞台は三間(5.4メートル)四方の正方形で、その中で演者の舞が行われます。

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揚幕(喜多節世) ©TOSHIRO MORITA |
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鏡の間(津村禮次郎) ©TOSHIRO MORITA |
能は、昔は野外で上演されましたが、現在では、能楽堂や公共の会館ホール、仮設の舞台などで、幅広く上演されています。昔からの野外舞台を持つ寺社では、例祭で能を奉納することもあり、薪能などが野外で上演されることもあります。中でも上演回数が多く、身近な観能場所は、各地にある能楽堂でしょう。
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国立能楽堂提供:能舞台 撮影:太田宏昭 |
東京にある公的劇場の国立能楽堂は、年間を通じ、五流の能、二流の狂言を上演しています。比較的安い料金でみることができます。能についての公開講座をはじめ、展示室では装束や能に関するさまざまな企画展が行われ、図書閲覧室には資料も充実しています。
そのほか、東京には観世能楽堂(観世会主催公演を年間約26回、観世会会員の各同門会の公演を年間約130回、関係諸団体の公演などを開催。)、宝生能楽堂(宝生会別会、月並能、五雲会、企画公演など。銕仙会等、諸流の催しも開催。)、十四世喜多六平太記念能楽堂(喜多流職分会、喜多流青年能など。)、京都には金剛能楽堂(金剛定期能など。)、奈良には奈良金春能楽堂(現在公演なし)と、各流派の能楽堂があります。
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「田村」が演じられた大宮薪能 ©TOSHIRO MORITA |
薪能は、野外で行われる能のことで、現在は、全国各地で盛んに行われるようになりました。お寺や神社の境内や公園などで催される事が多く、深い緑や土の香りといった自然との一体感や、宵のころ篝に火を入れる「火入れ式」、闇の中に浮き上がる舞台などの趣向が人気です。
薪能の起源は、平安時代に行われた奈良・興福寺の修二会(しゅにえ)の前行事「薪宴」にあるといわれ、現在でも5月11日、12日の2日間に、春日大社と興福寺の神事として「翁」をはじめとする能や狂言が奉納されています。
薪能が、現在のように観光的な意味合いをもつようになったのは、1950年(昭和25年)に京都の平安神宮境内で行われた「京都薪能」からといわれています。
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