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臣下は、名木か、などとたずねたことは愚かだったと認めた上で、「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」の歌の心をたずねました。老翁は、この歌が仁徳天皇を梅に喩えて詠まれたことを伝え、仁徳天皇の治政を讃え、梅に来る鶯を扱った「
そのうちに梅の精が現れて、王仁と仁徳天皇の関わりを語り、舞楽演奏の準備のため、太鼓を舞台に据え、自分も笛を吹いて舞を舞ってから退きます。 夜半、臣下が梅の木の下で夢うつつとなっているところに、王仁の霊と
「難波津に咲くやこの花……」の歌は、曲中に紹介される「安積山影さへ見ゆる……」の歌とともに、古今和歌集で和歌の父母と称され、古来、書を習う人の最初の手本とされました。今は廃れていますが、日本人の素養でした。能で、シテの老翁(王仁)が、「難波の梅」を名木かと尋ねたワキの臣下に、風雅の心がないとたしなめます。そこには、難波津の歌が人々の間に浸透していた背景があったのです。現代の私たちは、おそらく「心ない者」ばかりでしょうが。 一方、曲の後半には、春に相応しい「春鶯囀」をはじめ、数多くの舞楽の曲名が登場します。これらは古代に中国から伝来した音楽ですが、日本では、かたちを変えながらも雅楽として今なお受け継がれ、鑑賞機会もあります。 和歌や雅楽の背景を知り、楽しむことで、この「難波」を深く味わえます。逆に、謡曲が含む和歌や音楽の文化が人々に伝わり、共有されて「日本人の素養」になっていた面も窺えます。 また「難波」は、流儀により演出に違いがあり、上演時間もばらつきがあります。2時間超に及び大作の趣を醸すこともあれば、1時間半ほどで脇能らしく颯爽と駆け抜けることもあります。王仁の人物像、梅の精の設定など、各流の主張を見比べるのも面白いでしょう。 ▼ 演目STORY PAPER:難波演目ストーリーの現代語訳、あらすじ、みどころなどをPDFで公開しています。能の公演にお出かけの際は、ぜひプリントアウトしてご活用ください。
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