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宝生流・金剛流では「草紙洗」、金春流・喜多流では「草紙洗小町」、観世流では「草子洗小町」と表記する。
翌日の歌会では、帝をはじめ、紀貫之ら歌人が居並ぶ場で、まず小町の歌が披露されました。帝が小町の歌を讃えるなか、黒主は、小町が万葉の古歌を発表したと主張します。小町は反論しますが、黒主からは証拠として書き込みをした万葉の草紙が提示されます。汚名を着せられ、心を痛めた小町でしたが、草紙にしっかり目を通し、行の整え方や墨付きに不自然な点を見つけます。そこで小町は草子を洗わせてほしいと願い出て、帝の許しを得ます。小町が洗うと、書き入れられた歌だけが流れ落ち、黒主の悪企みが露見します。この時、黒主は自害しようと座を立ちますが、小町は歌道への熱心さゆえのことだからと許し、呼び止めます。帝もお許しになり、黒主は再び座につきました。こうして小町、黒主の遺恨もなく、めでたい雰囲気となり、小町は御代を寿ぎ、和歌の徳をたたえて舞を舞いました。 ※歌合:歌人が左右に分かれて、おのおの歌を詠み、その優劣を競う王朝の貴族の遊び。
物語の焦点は、黒主の悪だくみにはまった小町が、みずからの潔白を明らかにするため、草紙を洗うところ。ここで正義は勝利し、悪事が露見します。小町が草紙を洗い、書き入れた墨がすべて流れ去る場面は、まさに劇的な瞬間です。この場面に至るまで、「洗う」ことにかけながら、さまざまな和歌を想起させ、盛り上げていく謡も美しく、楽しみの一つです。 この後、黒主は自害を図ろうとしますが、小町はそれを止め、歌道への熱意ゆえのことであると許し、帝も怒りを見せず、寛大に許す場面が続きます。そのまま祝賀の雰囲気となって、小町の美しくきりりとした舞へつながる流れも、好感が持てます。悪をただ断罪するのではなく、水に流し、遺恨なく清々しい世界を導く。日本人が古い時代から培ってきた智恵を感じます。この曲で小町は、草紙を洗い、悪事を洗い流すとともに、観る者の心をも洗うかのようです。 ▼ 演目STORY PAPER:草紙洗演目ストーリーの現代語訳、あらすじ、みどころなどをPDFで公開しています。能の公演にお出かけの際は、ぜひプリントアウトしてご活用ください。
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