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能を支える人びと


福井芳秀(扇製作「十松屋福井扇舗」代表) 日本生まれの扇文化の伝道師
撮影:大井成義

 扇は、能楽に欠かせない道具である。装束をつけて能を演じる場合でも、紋付袴姿で舞囃子や仕舞を舞うときも、思い思いの格好で謡本を前に素謡に興じるときも、本舞台でも稽古でも、扇はいつも演者とともにある。また舞台にあってはシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方のどの役方もいつも扇を身に携えて離さない。     
 扇子草創期からの並びなき歴史をもち、今なお産地である京都には、能のシーンを華麗に、あるいは渋く彩る扇を専門的に作り、演者の手元に届ける扇屋さんがある。そのうちの一軒が「十松屋福井扇舗」である。京の街中、烏丸三条を上がったところの店舗を訪ね、ご主人の福井芳秀氏に、能と扇にまつわるお話を種々、伺った。     
 福井氏は、端正にたたまれた扇を広げて、きらびやかな扇面を顕すかのように、興趣に富んだ話題を次々に繰り出し、我々に扇文化の広がりと輝きをお見せくださった。切々と説き明かしていくその姿は、まさに扇の語り部そのもの。あらかじめお願いした取材時間が過ぎたのも気づかないほど、扇と能に対する深い情熱に浸り、濃密な時間を過ごさせていただいた。

開閉式の扇子は、いかにも日本人らしい発明品

「五番立」で用いられる代表的な扇
正式な能の上演形式「五番立」で用いられる代表的な扇
神物(右上)、狂物(右下)、
鬼物(左下:観世流の「道成寺」で用いられる「赤地に牡丹」)、
男物(左上)、女物(中央)
撮影:大井成義

あおいで涼む道具で、扇に先行するのが団扇(うちわ)です。これは世界中にありました。中国では周の時代(紀元3世紀)にすでに存在したといわれ、エジプトの王様の墓所にも描かれているそうです。団扇は一種の魔除け道具でもあり、儀礼や高貴な女性の翳(かざ)しにも使われました。日本へは6〜7世紀頃に伝わったようですね。当初は神事に、平安時代には貴人の翳しに使われ、戦国時代からは武将の軍配などにも使われます。

翻って扇はといいますと、日本のオリジナルなんです。何がオリジナルか? 扇という字はうちわのことで、「セン」と読み、扉のようにパタパタするものを表していたそうです。日本の扇はあおぐもので、「あふぎ」と呼ばれ、もとからあおぐものとして作り出されました。今から1000年以上前の平安時代初期かそれ以前に、貴重品であった紙のかわりに記録用に利用された木簡(細長い木の板)を綴じ合わせて作られたものがはじまりだといわれます。最初期の扇は桧扇(ひおうぎ)と呼ばれ、そのうちに美しい絵が描かれるようになる。さらには紙貼りの扇子(蝙蝠[かわほり])ができて、紙に折り目をつけた扇子もできていく。平安後期には、骨に透かし彫りした装飾性の高いもの〔透扇(すかしおうぎ)、切透扇(きりすかしおうぎ)〕も作られます。広げたり閉じたりできる扇の発明は、いかにも日本人らしいなあ、と思いますね。


1901年パリ万博に出展された日本の扇は人気を博したという

シテ方五流と無流の扇
シテ方五流と無流の扇
左から、無流、喜多流、金剛流、宝生流、金春流、観世流
撮影:大井成義

鎌倉時代に日本の扇(倭扇[わせん])は、禅僧を通じて中国大陸へ渡り、大きな変革を施されます。両面から紙を貼る作り方が生み出され、これが日本に逆輸入されるのです。ややこしいことに、今の末広とも呼ばれる中啓(ちゅうけい)[正式の能で使われる]は、中国との交流のもと、その影響を受けてできあがったのです。このほか、元々の鎮折(しずめおり)、そして雪洞(ぼんぼり)を加えた3つの様式が日本のその後の扇の形式として定着します。日本生まれの扇は、中国からインドやヨーロッパにも伝わり、ルイ王朝の文化に彩りを添えたりもしました。ヨーロッパに扇を伝える役割を担ったといわれるスペインでは、スパニッシュ・ダンスの道具としても使われています。

江戸時代の後期以降、扇は日本独自の輸出工芸品として、世界市場に送り出されるようになりました。1901年(明治34年)のパリ万博にも出展されて人気を博したというエピソードもあります。明治期から第2次世界大戦前くらいまでは輸出用の扇が、国内向けの2倍になるほどの勢いがありました。


能での扇は“野球のグローブ”や“アンテナ”、“指揮棒”の役割

さて、扇はもちろん扇ですから、あおぐことが第一に来ますけど、「結界」を作る道具でもあるんです。お客様や先生に対座して、扇を前に置くのは、自分はあなたより一段下ですよ、と謙譲の心をもって接することを示します。扇はいわばその仕切り線で、線の向こうの人を上位にする結界をつくるんです。扇という小道具で、その結界は移動式になっている。扇を持つときに心があらたまるのはそういうことです。これは能に限った話ではなく、茶道の作法でも同じですし、昔の生活に密着した扇の使われ方でもありました。

では能で舞うときに、なぜ扇を持つのか? 妙な表現ですが、野球のグローブなどと一緒で、手元を大きく見せるということですね。手だけでは、何をやっているのか見えづらい。型や所作をよくわかるようにするわけで、これは私自身もそう感じます。また民俗学の学者さんは、いや扇はアンテナみたいなもんで、祭事にあたって、神がかりになるための仕組みなんだとおっしゃる。確かにそういう意味もあるんでしょう。あと、狂言でもいろいろな使い方がなされ、盃に見立てて酒を飲むように見せるとか、扇を形態模写の道具に使う。これは落語とも共通性があります。舞事に関して言えば、節目節目の型の扇づかいが、本来お囃子方に対する知らせを表しています。能楽師の先生方から伺ったところによれば、たとえば「融」の早舞で十三段の舞という替えの型がありますが、あれはある場面で適切な型を行って、お囃子方に次はこうやるよ、と知らせて演奏を促すのです。シテがコンダクターになり、そのとき扇は指揮棒、すなわち指示する道具になっている。それから、開閉できる便利さを活かして、さまざまな所作、型の表現をより広げることもできますね。

私たちは扇で商売させていただいていますが、こういう舞台に使われる扇はずいぶん幸せな扇です。有難いことですよね。普通の扇子は、夏のものです。できるだけ忘れていただいて、毎年買い換えてもらうのがよい(笑)。扇は本来、季節が過ぎれば捨てられる、そういう軽いものなんです。でも、こと舞台に使われる扇は、とても大事にされます。それはもう作っている我々にとっては本当に有難い。しみじみとそう思います。


扇は流儀ごとに違うかたち、模様がある

店内の一角には扇づくりに使われた道具が
店内の一角には、かつて扇づくりに使われた道具が
さりげなく置かれ、創業300年余という老舗の雰囲気が感じられる
撮影:大井成義

私どもは、能・狂言各流の扇を取り扱わせていただいています。骨が10本あるなどの基本要素は変わらないのですが、仕舞扇は、それぞれ皆骨組みから大きさや模様まで、流儀によって違います。細かくは述べませんが、五流の仕舞扇を眺めていると、何かその流儀独特の個性が見えてきますから、不思議です。ワキ、囃子方、狂言方の扇もそれぞれ違います。ただ基本的には座付の共通性があり、シテ方金春流扇の骨組みは、狂言方大蔵流扇の骨組みとほぼ同じ、ワキ方の福王流はシテ方観世流とほぼ一緒といった感じになっています。

能に使われる中啓の模様は、江戸時代の末頃にはどの曲にはどういう模様を使うかがほぼ確立しています。それを丹念に見ていくと、流儀の違いがくっきり現れて、面白いですよ。たとえば道成寺の扇。観世流は牡丹の花、宝生流は龍、金春流は7つの花の丸模様。金剛流では戦国大名の大内家から賜ったという大内菱の図案を使っています。喜多流は現行では桜花をあしらう。それほど違いがある。また同じ図案の模様でも、流儀が違うと趣の異なる曲で使われる場合があります。たとえば、赤地油煙形と呼ばれる模様は、妖精や鬼に使われる決まり模様、図案で、観世流では「猩々乱」に使います。ところが、宝生流では「融」に使う。一方、観世流の「融」では秋草の模様が使われます。「融」のいにしえをたずねると、鬼の能の類でした。そのため、赤地油煙形が使われるのは自然だったわけです。すると、時代が変わり、曲想が鬼の能と呼べなくなっても、宝生流では鬼の能の、古式の面影を扇に名残りとして留めた、という興味深い事実が浮かび上がります。

いろいろ決まりはあるのですが、扇はやはり道具ですから、演者によって変化も出ます。演能の際の選択では、面、装束が先に選ばれ、最後に扇が選ばれます。その際に決まりごとと違うケースも出てくるのです。全体のバランスから判断されるのでしょう。考えのある演者の方が新しい図案をお作りになることもありますし、新作能では曲趣に合わせて、新たな模様を描くことも多いですよ。そういうものも我々でお仕立てしています。


職商人(しょくあきんど)という立場での扇づくり

当店は、職商人(しょくあきんど)という立場で事業を行っています。私が代表者として営業や経営部分を担い、実際の現場仕事は叔父が芯になってやっています。ものづくりに携わるのは、息子も含めて5人ほど。ミニマムな仕組みです。扇屋は家内制みたいに見えますが、実のところかなり分業が進んでいるんです。お客様である能楽師の先生方から注文をいただいて、骨組みに当たる扇骨づくりの段取り、紙の段取り、それから紙に加飾という加工を施します。金箔を押したり、上絵を描いたりという作業です。そしてここから折り目をつける折り加工、すなわち仕上げ・仕立工程として、骨組みと折り目のついた紙を組み立てて、扇のかたちにします。その際に、扇面の絵はすべて外注で描いてもらいます。いろんな工程で職人仕事が入り、我々はそれを取りまとめるんです。

既存の模様、新作模様限らず、新しく扇を作るだけではなく、修復も大きな仕事のひとつですね。これは難しい仕事で、いつも発見と勉強の連続です。ご依頼を受けて古い品をリニューアルするのですが、損傷のひどいもの、くたびれたものは写しを作る場合もあります。その場合の問題は、中啓の寸法が江戸中期以前と江戸時代後半から幕末期・明治以降とで変わっていること。もし名づけるなら、今の中啓は「近代能中啓」とでも呼べるものですね。骨数は一緒ですが時代が古くなると、幅が少し狭くなる。元禄期以前の中啓で幅ひとつが50度、60度にもなるような極端なものもあります。そういうものを現代によみがえらせるため、依頼主の先生方のお考えに沿ってリサイズして作るケースもありますよ。


能楽危機の大変な時期を乗り越えて

烏丸通りに面した店舗の入り口
烏丸通りに面した店舗の入り口にて
撮影:大井成義

当店は、今から300年ほど前の1703年(元禄16年)に創業しました。観世流の扇を取り扱う店の権利を買い取るところからスタートしています。明治維新の頃の能楽危機で、この商いも大変なことになりましたが、その後、能楽復興が見えてきた明治後期に、新たな展開が生まれます。東京の能楽専門出版社・書店であるわんや書店の当時のご店主、江島伊兵衛氏が、京都まで扇屋を捜しに来られ、当店に声をかけてくださったんです。そして縁あってお取り引きをさせていただくことになりました。わんやさんは宝生流の謡本をお作りになっていますから、宝生流の扇を販売されます。その製作を我々が請け負うというかたちができた。今でいうOEMですな。わんやさんは東京に我々の販路を作ってくださいまして、今も宝生流はわんやさんが扇を販売し、我々が製作するという取り決めがずっと続いています。

また観世流の謡本を取り扱う檜書店さんとも、お取引させていただくようになりました。先にご紹介したわんやの江島伊兵衛氏は素晴らしいアイデアマンで、大正初期には能楽関連諸物の展覧会を開催され、能楽界を大いに盛り上げられた、とうかがっています。当時、当店からもいろいろ出品させていただきました。


能楽普及への思いから生まれた“無流の扇”

最近は小中学校で仕舞教室、狂言教室を開くケースが増えていますね。能楽を実践する人が減るなかで、これは大変有難く、意欲的な活動だと歓迎しています。こういう教室では、1年目は仕舞をやって2年目は狂言をやるというようなケースもありますね。またひとつの流儀でずっといくならいいのですが、そうではない場合も出てくる。

そこで、こういう教育用に限って無流の扇を用意したらどうかと考えたのです。五流の扇を作っているのに不見識ではないかとの懸念もありましたが、やはり普及に使いやすいものが必要だとの思いが勝りました。能楽師の先生方ともご相談しまして、児童・生徒用に限るとして、前向きなお言葉をいただき、値段もできる限り安く抑えて出すことができました。もちろん個々の教室をなさる方に、無流のものもありますが、というかたちで出しています。主催者の選択肢を増やし、便利に使っていただいて、能や狂言をやる人が少しでも増えればと思います。


扇づくりとは、まじめに誠実にこつこつ積み上げていくもの

能楽を稽古する人の減少は、本当に深刻な問題なんです。扇づくりにも影響がある。扇屋の仕事は、技術的に見るとそんなに高度なものではないのですが、数をこなさないとレベルの高いものにはなかなか至らない。職人も最初から名人なわけではありません。一般のお稽古用のものをたくさんやってそこからレベルを上げていく。その道筋をきちんと通ってはじめて、高いレベルのプロのご希望に沿ったものづくりができるのです。扇づくりとは、ちくちくとまじめに誠実にやって、仕事を積み上げていくもの。数をこなせばこなすほどレベルが上がる。ところがそれがかなわない環境になりつつある。

この問題は扇骨の素材を取る竹材にも影響しています。適度に需要があれば、竹林を間伐して、いい状態に保てるのですが、需要が減るとどうしても荒れてしまう。折からの温暖化などで、寒冷な気候が育てる良質な竹林も、山の上に追いやられるようになっている。そのさなかに、この状況ですから……。困難な問題が結構あるんです。そういう意味でも稽古人口は増えてほしいんです。

京都も謡好きの人は、かなりいますけど、ご高齢の方が多く、なかなか広がりがないのが悩みの種です。私自身、能の稽古は学生時代にクラブ活動で観世流の仕舞を習いはじめ、今も片山九郎右衛門師について、ずっと続けています。森田流の笛も40年ほどやってきました。仕事柄、能を学ぶことは欠かせませんし、バックグラウンドになってずいぶん助かっています。扇の使い方から能のさまざまな決まりごとを、身をもって知ることができますからね。お客様とのお話も弾みます。折をみて、お話にいらしていただけましたら幸いです。(2008年10月)

本文で紹介し切れなかったお話をまとめました。こちらをご参照ください。
能と扇にまつわるお話 「班女」にみる、粋な小道具としての扇 「末広がり」にみる、最新流行品としての“中啓”

福井芳秀 プロフィール
1949年京都に生まれる。1971年、大阪市立大学卒業後、家業である(有)十松屋福井扇舗へ入社。同社は1703年(元禄16年)創業の老舗で、能や狂言の扇を主に製作販売を手がける。92年、同社代表取締役に就任し、現在に至る。93年〜2008年まで京都扇子団扇商工協同組合理事長を務めたほか、(財)伝統的工芸品産業振興協会理事、通商産業省伝統的工芸品産業審議会委員を歴任。現在は、(財)祇園祭山鉾連合会副理事長を務める。2007年春、黄綬褒章受章。

「京扇子・京うちわ」ホームページ(扇の作り方、歴史などをより詳しく知りたい方はこちらへ)
参考文献:『能を彩る扇の世界』檜書店(十松屋福井扇舗も編集に協力)

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