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能楽師に聞くNoh Talk

能楽師に聞く 第2回 観世流シテ方 梅若家当主梅若玄祥 能の伝承は生きもの。その心を伝えていく

未だ暑気の残る頃、梅若玄祥氏を東京・四谷の稽古場に訪ね、お話を伺った。能楽界の中でも、その取り組みの多彩さで群を抜く梅若氏。あれこれ想像をめぐらせていたが、実際にお会いしてみると、その人物の底の知れない奥深さは、こちらの想像をはるかに超えていた。
気さくで実に人懐こい梅若氏は、話も抜群に上手く、どんどん引き込まれていく。時を忘れて、思わず予定を過ごしてしまった。もっとずっとお話を聞いていたかったが、「醒むるや名残なるらん」(三輪)、名残惜しくも夢から醒めた心地となる。日を改めて、今度はまた、さまざまな舞台でお目にかかりたいと思う。
ここではやや筆が足りないが、梅若氏のお考えと、類なき魅力の一端をお伝えしたい。(2014年9月)

→ 第1部 「能の原点は何か」を常に問いかけて

→ 第2部 修行の道を辿って

聞き手:内田高洋(the能ドットコム) 写真:大井成義

第1部 「能の原点は何か」を常に問いかけて

現行曲の検討から、復曲、新作へ

内田 これまでの先生の歩みの中で、印象的なことをあげていただけますか。

梅若 大きなことでは、劇作家、演出家、演劇評論家として活躍される堂本正樹さんとの交流がありますね。

堂本さんは、私の祖父の弟子で、幼少時代から私を弟のように見てくださっている方です。橋岡久太郎先生にも教えを受けておられ、堂本さんを介して、祖父や橋岡先生の貴重な話を聞くことができました。私にとっての師匠ですね。

堂本さんとの交流から、現行曲を検討するという私のテーマが出てきました。それは私の三十代からの歩みに刻まれています。

現行曲はこのままでいいのか。誤りのある場合もありますよ。そこで、誤りだと理解して演じるのと、意に介さないのとでは大きな開きがある。誤りを何も考えずに伝承するのは、まずい。しかし能が辿ってきた道筋から、仕方ないなというものもあるんです。これからの能楽師は、そこをきちんと踏まえ、身につけなければならないと考えたんです。

そして、3、4名の研究者と私、堂本さんらで会合を持ち始めました。その成果を能に取り出すのは、年に2、3曲ですが、毎月、多いときには2回も3回も集まっては、とりとめのない話をしつつ、探っていきました。このとりとめのない話が実に面白いんです。堂本さんも私も歌舞伎が好きで、古い歌舞伎役者の話なんかになると、尽きない。大いに勉強になりました。

内田 興味深い取り組みですね。たとえば、誤りを理解することが必要とおっしゃいましたが、どういったものがあるのでしょう。

梅若 「羽衣【→演目事典】」では、流儀によって「月の色人(いろびと)」と謡ったり、「月の宮人(みやびと)」と謡ったりする一節がありますね。「イロビト」「ミヤビト」の音の違いがありますが、違いはどこから来ているのか、その意味をわかって謡う、把握して演じることが大事です。

また「葵上【→演目事典】」の古式や「弱法師」の世阿弥自筆本での演出などを見ていきますと、どのように、どうして今のかたちになったのかが見えてくる。かつてあったものを、どんどん削ぎ落とし、今に至っている。

「弱法師」では、昔は四天王寺界隈の賑やかさが描かれていましたが、今はそれをあまり感じません。それよりも、父と子、人対人の関係性を凝縮して演じます。かたや昔の演出では、ひとりの芸能者としての弱法師の姿がくっきりと浮かぶ。今と昔、それぞれの演出で演じることで、お互いの足りないところを補えます。

内田 見方、焦点が違うということですね。観る方からすれば、いろいろな面白さを感じられて楽しいと思います。

梅若 これはどちらがいい、悪いではありません。能は3000番ほどありますが、現行曲は多くても250番ほど。決して多いとは言えません。1000曲ぐらいあるといいかも知れませんが、そうなると覚えるのも大変です(笑)。だから演出で変える。演者は、新曲に取り組みたいものですが、能は1回限り、一期一会ですからね。できる曲が限られています。ある曲を演じて、次にやるのは3、4年先、あるいは一生演じないかもしれない。

1回演じた後の反省は、自分の中にためることになります。それもいい点があります。ためたことを、ほかの演目に活かす道があるからです。それが能の良さでもありますね。

現行曲を検討し、能の一期一会のあり方、その良さを改めて感じることができました。その流れで、三十代から復曲、新作に取り組むようになりました。

内田 先生が復曲、新作を熱心になさっていることは、私もよく見聞きし、ワクワクするのですが、そのことへの思いを語っていただけますか。

梅若 1983(昭和58)年に「大般若」を復曲したのが始まりです。現行曲にはない、つくりの面白さがあり、能の広がりの感覚も覚えました。

復曲、新作を手掛けることについては、協力してくださる方々がいなければ成り立ちません。三役の諸先生方のご協力があってこそと、常々感謝しています。また研究者の方々、演出等を支えてくださる方々など、能楽師以外の方の協力も大切です。

私は、“玄祥ワールド”を作りたくてやっているわけではありません。我が儘に作りたくないのです。皆さんには、自由に発言してくださいと申し上げている。そして皆で作り、皆のものにしたい。もっとも、かなり我が儘もいいますけれども(笑)。

宝生流二十世宗家 宝生和英

1983(昭和58)年、500年以上の時を経て梅若玄祥氏により復曲された「大般若」。復曲のきっかけは、この能に梅若家所蔵の面「深沙」が使われていたのではないかと言われていたことによる。物語は、流沙川(砂漠)に住む深沙大王が経典を求めて天竺を目指す玄奘三蔵を助けるというもの。深沙大王はじめ多彩な神々が登場し、華やかなスペクタクルが繰り広げられる。(写真提供:梅若会)

喜多流能楽師 大島衣恵

能楽入門3『梅若六郎 能の新世紀 古典〜新作まで』(小学館)監修/梅若六郎 文/氷川まりこ
「夢浮橋」「空海」など、梅若玄祥氏の数々の新作能の内容や関係者のインタビューが掲載されている。「道成寺」「船弁慶」など古典の代表作の紹介も。能の楽しみ方を、さまざまな視点からふんだんにお届けする意欲作である。

新たな取り組みは、能楽界の資産になる

内田 復曲も新作も、チャレンジですが、それがもたらすものは何でしょうか。

梅若 「大般若」のときは、そう思っていなかったのですが、復曲を2、3曲進めるうちに、そこで得たものを現行曲に還元できるようになってきたのです。そのとき、ああ、これは続けなければならないと思いました。

面白いからやるわけじゃないんです。もちろん面白さはありますが、それは二の次。掘り起こした曲が、なぜ歴史の中に埋もれたのか。長い時を越えて今、この曲はよみがえるべきではないか、今なら受け入れられるんじゃないか、といったことを考えながら取り組むことが大事です。それは、現行曲を、もっとよく理解することにつながるわけです。

内田 チャレンジが、能楽界の資産になるのですね。

梅若 「井筒【→演目事典】」という曲がありますね。私は、「井筒」は能の中でも最高の曲だと思っています。でも「何が最高?」と問われても、よくわからない。「井筒」が作られた時代、まだ原石だった頃からのことを知らなければ、何が最高かをわかり得ないと思いました。私が復曲、新作を頻繁にやるのは、それが理由です。

原石を磨く過程に迫るのは、すごく面白い。「井筒」で言えば、昔は今とずいぶん様子が違って、執心物に近いものでした。昔の「井筒」をいっぺん試してみようと、堂本さんたちと一緒に突き詰めて演じたのですが、これが大失敗とまではいいませんが、「うーん……」と首をひねるものになった。「井筒」が今のかたちになった理由が、本当によくわかりました。これはやってみないとわからない。

私は、能楽師仲間には「演じるところから始めよう」と言うんです。役者は学者と違います。実演が大切です。研究をなさる先生方は、体系的な知識と頭脳を、私たち役者に与えてくださる。役者はそれを能として実演する。その営みが面白いですよね。学究も大事だし、実演も大事、両方そろわないといけません。

内田 先生の話をお聞きして、先生は、能の原点は何かを常に問いかけて、もっと面白くしようと取り組まれているのかなと感じました。

梅若 能はつまらない、という方もおられますよね。

内田 退屈だ、と言う人がいます。

梅若 それは、よくわかります。退屈だと言うのを否定してはいけませんよ。それよりも、なぜそうなのかを考えるべきです。今、最高の曲だと申しました「井筒」でも、能を知らない、背景知識も持たない人が観たら、大変な思いをするでしょう(笑)。

内田 きっと寝てしまいます。

梅若 また「摂待」という曲がありますね。

内田 心に沁みる、いい曲です。

梅若 この曲は、演者が出てきて、ずっと座ったまま話が展開する能です。私の友人が一度「摂待」を観て、「あまりにも眠くてウトウトした」と言うんです。「それからどうした」と聞くと、「ふと目が覚めて観たら、前と同じシーンのままだった」と答えました(笑)。

「でも、よく考えたら能はすごいね」とその友人は続けました。彼は歌舞伎役者だったんですけど、「歌舞伎では考えられない、皆、我慢できなくなっちゃう」と言うんです。

内田 途中で何かアクションが入っているかもしれませんね。

梅若 「我慢できないのに、能では、平気で澄まして演じ切る。それは能のすごさだね。」と讃えてくれました。私は、これはすごくいい言葉だなと思います。それは私たちに、戒めを与える。それだけ動かない演技で、観客を惹きつけなければならないんです。我々能の演者は、果たして観客を捉える力を出しているかどうか。今現在、そう問いたいですね。

失敗してもいい、舞台で転んでもいい、やってやるという、みなぎる「気」みたいなものがないといけないんじゃないでしょうか。

観世流シテ方 梅若家当主 梅若玄祥

次代に何を伝えるか。梅若玄祥の考える伝承とは?

内田 先生のお話を伺って、能のすごさを改めて感じています。このすごいものを伝承することについて、先生はどう考えておられるのでしょうか。

梅若 流儀それぞれに伝承はあります。でも伝承とは何かを考えると、これが難しい。具体的に、謡い方、舞い方には流儀の主張があります。でもそれは、時代ごとに名人上手の芸を、周囲の人が見習ってできたものかも知れません。それが実は大きいと思います。

当家に限れば、謡が華麗だ、綺麗だと言われることがあります。でもそれは、長い年月に受け継がれた、梅若風ではありません。古い観世流なんですよ。梅若の家も、私で実質は四代目です。四代前の初代梅若実は、はっきり言いまして素人です。でも努力して、宝生九郎知栄先生、桜間伴馬先生とともに明治三名人と言われるまでになった。

では、曽祖父は誰に習ったのかと言いますと、当時の観世流の名人だったんですね。それがいつの間にか当家の芸風になった。以前、当家とは縁もゆかりもない方が来られ、当家の謡を聴いて「懐かしい」とおっしゃいました。「どうしてですか?」と聞くと、「昔の観世流はこうでした」と言われたんです。

舞や謡の伝承は、途切れたり、途中から出来てきたりするものなのです。では何を伝承しているのかと言いますと、精神だと思うんです。かたちではなく、心ですね。それが流儀の代々に伝わっている。もっと広く考えると、流儀も関係ありません。能の中に心が受け継がれている。

だからこそ、我々は能が、なぜ、どのように今のかたちになったのか、しっかりと紐解いていかなければなりません。

内田 チャレンジのもたらすものという、前の話につながりますね。

梅若 「井筒」は削ぎ落とされて今のかたちになりました。その削ぎ落とす過程、原石を磨き上げてきた幾多の演者たちの心に、思いを致すことが大事です。

研ぎ澄まされた「井筒」の宝石だけを見て、「これが能です」と威張っても仕方がない。磨く途中のことを考える……そうすれば、考えることそのものが能に関わる皆の伝承になっていくんじゃないでしょうか。

内田 それは生きている伝承なんですね。

梅若 そうです、書き物ではありません。『風姿花伝』も間違えて読んだら、えらいことになりますよ。世阿弥を読んで、いろいろと言ってくる方がおられます。でも私は「あなたは世阿弥じゃないでしょう?」と返す。私の祖父は、白洲正子さんとの対談で、「『風姿花伝』は読まれましたか?」という問いに、「うちにもそれらしきものはあるけれども、芸がきちんとするまでは読まないようにと言われました」と答えたそうです。

世阿弥は芸を大成した後に書いているところも多いと思います。それを、もちろん読むのはいいんですが、自分に引き寄せすぎるとよくない。自分もこうやってああなって…… と勘違いしてはいけません。

内田 世阿弥の言葉が金科玉条になってしまうのは、よくないと。

梅若 そこが伝書の怖さです。当家もおかげさまで古い伝書はあります。それを信じて読んでいいのかどうか、考えながら読まないと。また若いときに読むのと、今読むのとでも、違います。今だから「ああ、そうなんだ」と思ったりします。逆に若い時分の方が、素直に本質をつかんでいたりするかも知れませんが(笑)。

内田 それもこれもひっくるめて、生きているんでしょうね。

梅若 そうですね。伝承とは、生きることそのものです。そう考えて日々を暮らしていかなければなりません。

魅力のある役者、攻める役者、出でよ!

内田 後進の皆様に、今伝えたいことは何でしょうか。

梅若 能を広めることは、とても大切なことです。でも、その広め方は難しい。大切なのは役者の魅力を磨くこと。面白い役者を作らないといけません。面白いって楽しい人というわけじゃないですよ。いろいろな可能性を感じさせる役者を、皆で育てていかなくちゃいけないと思うんです。

内田 単に型が上手い、謡が美しいというシンプルな魅力ではない。もっと複雑な…… 自ら考えて何が飛び出すかわからない、人をワクワクさせる魅力というものでしょうか。

梅若 そうです。もっと上のステージに乗っていける人ですね。私たちにとって大事なことは、そういう人を引っ張り下ろさないこと。これは、我々の社会にはありがちです。落ちる人は何もしなくても落ちていく。だから上げてやることが大事です。

この子は可能性があると思ったら、押し上げる。素質のある子は努力すれば、どんどん上に行きます。逆に努力しなければ落ちる。それは役者次第です。

普及では具体的に、この催しならお客様が喜ぶ、という企画を出すことも必要です。でも、その前に役者の魅力を磨く土壌を広げなくちゃいけません。我々、指導する側の責任です。ちょっと何かやると「あいつは生意気だ」と言う人も出てきますが、私は、生意気は大好きです。生意気なくらいでいいんですよ、役者は。でも生意気なだけでは、できない。

内田 そこが厳しいところですね。

梅若 生意気の上に、努力が加わらないといけません。そうすれば皆が納得する。努力できる役者づくりが、能を活性化する一番だと私は思っています。これ以外ないでしょう。

内田 催しの方法論は、やりようはありますが、人づくりは簡単ではありません。

梅若 大変ですよ。でもそれを怠ったら、能は無くなるときが来るかもしれない。それぐらいに思っていないといけません。

私の曽祖父の時代、明治維新で、能は無くなったじゃないですか。そのときにいい役者にならなきゃなと思ったでしょう。つまらないものをやっていちゃあ、しょうがないわけで。だからこそ、私の曽祖父も素人から、あそこまでになったのかもしれません。

JAKMAK「A Memory」

梅若玄祥氏とバイオリニスト・葉加瀬太郎氏とのコラボレーションによる組曲「JAKMAK」。2014年5月24日(土)に京都・上賀茂神社、式年遷宮前年祭で、二人の舞と演奏により初演された。(撮影:生原良幸)

JAKMAK「Pray」

2曲目「A Memory」(赤)では、人生の憂いを表現。4曲目「Pray」(青)は、梅若氏が節付した現代語の謡と葉加瀬氏の即興演奏をバックに、人生の意味を問う舞を舞う作品のクライマックス。(撮影:生原良幸)

内田 明治の話が出ましたが、この冬には横浜能楽堂の企画公演「明治八年 能楽の曙光」で、1875(明治8)年に宝生九郎師、梅若実師が明治時代に演じたという由緒を踏まえて、宝生の宗家と一緒に「蝉丸【→演目事典】」をなさいますね。

梅若 明治時代、宝生九郎先生には、本当にお世話になりました。当家を助けていただいた大恩人です。そういう意味でも、今度ご一緒できることは大変嬉しく思っています。

また観世の宗家と宝生の宗家とが一緒に催しをなさる、そういう時代になって、非常に喜んでおります。若い世代の力を感じて、嬉しく頼もしい。年寄りはいろいろ言うこともありますが、そういうのは無視していいんですよ。

一方で私は、流儀も、家元制度も無くなってはいけないと思います。特に、能において家元制度は、大変よい制度です。こうして、きちんとしたものを守ることは大事です。

私は「家で守って役者は攻めろ」とよく言っています。守りとは攻めでもある。攻守両方なくてはなりません。流儀、家があって、かたちを守る。あとは個々の役者として、皆が攻めていく。そういう状況になれば、能楽界はもっともっと面白くなると思います。私はもう、見ているだけですけれども。

内田 いえいえ、若い方も結構ですが、今後の先生の活動にも期待しています。京都上賀茂神社でのヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんとの競演〔〈JAKUMAKU〉2014年5月/BS朝日で7月に放映〕など、斬新で面白い試みには驚きます。

梅若 あのコラボレーションは、プロデューサーの西尾智子さんの尽力があって実現しました。能楽師も、どんどん外の人とやったらいいと思いますよ。(第1部 終/第2部へ続く)次ページへ

第2部 修業の道を辿って ▶


観世流シテ方 梅若家当主 梅若玄祥(うめわか げんしょう)
1948(昭和23)年生まれ。1951(昭和26)年、能「鞍馬天狗」子方にて初舞台。1988(昭和63)56世梅若六郎を襲名。2008(平成20)年には二代梅若玄祥に改名。
現在、人気、実力ともに第一人者として活躍。廃絶された能の復曲、新作能の上演も積極的に携わり、様々な演出を試みるなど、今日に生きる古典芸能としての能を支えている。また、海外への能の紹介にも意欲的で、海外初の能面・装束の展覧会を開いたほか、アメリカ、フランス、オランダ、ロシアでも公演。ホール能の先駆者的存在でもある。能楽界のみならず国内外の様々な分野の芸術家達に、「幸運にも今、我々が目にすることが出来る人類の宝」の一人として崇拝され常に注目されている。
重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)、日本芸術院会員、一般社団法人日本能楽会理事、公益社団法人日本演劇協会理事、公益財団法人梅若会理事長、梅若能楽学院学院長、能楽企画「狐陸」代表

インタビュアー:the能ドットコム 内田高洋(うちだ たかひろ)
京都大学で宝生流のサークルに入ったことをきっかけに、能楽に魅了される。以降、シテ方宝生流の謡と仕舞を中心に、森田流の笛や葛野流の大鼓の稽古にも勤しみながら、能楽全般について、実践と鑑賞そして学びの日々を送る。現在、シテ方宝生流の機関誌「宝生」の編集・原稿制作にも携わっている。


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