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演目事典

唐船とうせん


「江戸初期古能狂言之図」能 たうせん
国立能楽堂提供:「江戸初期古能狂言之図」能 たうせん

あらすじ
祖慶官人(そけいかんにん)は唐(中国のこと)の人で、明州(現在の中国浙江省寧波市付近)に住んでいました。ある時、日本と中国の間で船争いがあり、祖慶官人は捕らわれの身となり、九州の筑前国箱崎の浦(現在の福岡県)で、箱崎某という人に牛飼いとして使われるようになりました。彼はその地で妻を娶り、二人の子を儲けて十三年の時を過ごしていました。

祖慶官人は、明州に二人の子を残していたのですが、その子らは、父を帰国させようと、唐船に身代金となる財宝を積み込んで、箱崎まで遥々とやって来ました。中国の子どもたちと再会した祖慶官人は、大いに喜び、箱崎某も、その子らの親を思う気持ちに感心し、帰国を許しました。

さて、祖慶官人が船に乗ろうとすると、日本の子どもたちも同行したいといいました。しかし箱崎某は、牛飼いとして跡を継がせようと思っており、それを許しません。帰国を急ぐ中国の子、引きとどめようとする日本の子の板挟みとなり、祖慶官人は、進退を決められないと、岩から身を投げようとします。中国の子、日本の子は、互いに祖慶官人の袂にすがりつき、それを止めました。箱崎某は、そうした親子の情にさらに感動して、日本の子の同行も許しました。祖慶官人は喜んで、子どもたち皆と一緒に船に乗り、船出します。喜びのあまり、官人は船中で楽を舞いました。やがて船は岸辺を離れて沖へ進み、さらに中国へと急いで行くのでした。

みどころ
日本では、“唐”は、中国の唐王朝をさす場合と、中国あるいは海外を漠然と示す場合とがあります。「唐船」では、後者の意味で使われています。唐王朝の時代の話ではなく、定かではありませんが、一説に南北朝の南朝(吉野朝廷)の時代の話ではないかと言われています。内容から見れば、倭寇と呼ばれる日本の海賊が活動した13〜16世紀頃の話だと思われます。世阿弥の時代には、すでに「ウシヒキノ能」と呼ばれる同内容の曲がありました。

倭寇にまつわる物語は、文芸などを含めてもほとんど見当たらず、その点からも能の「唐船」は、稀有な作品と言えるでしょう。登場人物も多く、変化に富む内容で、見どころも数多くあります。まずシテの祖慶官人を軸に、中国の子、日本の子がそれぞれ二人登場し、親子の情愛を描く場面が挙げられます。子方四人が、シテの袂にすがって身投げを止めるシーンほか、観客の心に深い印象を残します。またユニークな唐船の作り物も興味を引きます。通常よりも大きめの船の型が組まれ、三つに区分され、帆走時には色や模様のついた帆が上げられ、唐船のイメージをうまく表現しています。この船は中国でジャンク船と呼ばれる、木造帆船の類だと思われます。唐船のなかで、シテが喜びのあまりに舞う楽もまた、この曲の大きな見どころです。子方や船頭も乗り込んで、手狭になった船の上で舞われます。狭い空間ながら、緩急のある面白い舞が展開されます。謡では、当時の日本人の中国観、中国人の日本観なども描かれています。場面の変化が多く、色々な面白さが広がる能です。


演目STORY PAPER:唐船

演目ストーリーの現代語訳、あらすじ、みどころなどをPDFで公開しています。能の公演にお出かけの際は、ぜひプリントアウトしてご活用ください。

唐船PDF見本
the能ドットコムの「唐船」現代語訳、あらすじ、みどころは、作成にあたって主に次の文献を参照しています。書名をクリックするとリンク先で購入することができます。
『謡曲大観(第5巻)』佐成謙太郎 著 明治書院
『能楽手帖』権藤芳一著 駸々堂
『能楽ハンドブック』戸井田道三 監修・小林保治 編 三省堂
『能・狂言事典』西野春雄・羽田昶 編集委員 平凡社
各流謡本

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