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能楽師に聞く

観能楽師に聞く 観世流シテ方 九世 観世銕之丞

→ 第1部 葛藤の末、気づいたこと
→ 第2部 国内外に向けて発信したい能の魅力

2017年6月 聞き手:大島衣恵(喜多流能楽師) 写真:大井成義

第2部 国内外に発信したい能の魅力

謡の究極は、人生の特殊さや切なさを言葉と調子で送り届けること

観世流シテ方 九世 観世銕之丞

大島 型ももちろんですけど、やればやるほど謡は難しいな、と思います。柔らかく謡うとしてもお腹の強さがないと謡にならない。まず、“息を引く”というのは初心者の方には分かりにくいかもしれないですね。

観世 あまり良くないことを伝える時などに声をひそめる感じ。これが要するに息を引くということですね。「ここだけの話なんですけどね!」とは言わない(笑)。これだと押す息です。

役といっても虚構なので、盲目の人の感覚や発想に近づけるよう演じていかなければならない。「出で入りの〜」(押す息と引いた息でそれぞれ実演くださる。押す息は明るく爽やかに力を発散させ、引く息だと力を内に引き込んでしっとり謡う印象。)と、これが引くとか押すという言い方になってくる。そして、引くという技術に特化している流儀の謡が宝生流なんです。それはテクニックの積み重ねがあって、親父や伯父がもっとも参考にしたのも宝生流みたいですね。

大島 ええ、聞いたことがあります。

観世 近藤乾三先生ですとか、高橋進先生、野口兼資先生ですとかね。僕の好みで言うと、たっぷりとした息で謡いたいんです。テープでしか知りませんけれども、桜間弓川(さくらまきゅうせん)先生の息のたっぷりとした謡いは憧れますね。さきほどのは「弱法師」の「一セイ【→用語事典】」ですが、弓川先生による「松風【→演目事典】」の謡のキリなんかを聞いていたりすると、じわぁっと広がっていく感じがして「ああ、いいな」としみじみ思います。

声と息がもっている豊かさは千差万別で、やっぱり謡はおもしろい。ただそれにのめり込むと、視野が狭くなってしまうんですけれど。現代は広く浅くの時代なので、これからの謡のあり方は大きく変わってくると思います。

いずれにしても謡の究極は、意味を分からせるということでなく、何か人生の特殊さだとか、気持ちの切なさみたいなことをイメージとして、言葉と声の調子とで送り届けること。ですので、謡いの作り方というのもなるべく考えていきたいと思っています。

大島 謡と一口に言っても、流儀だけではなく本当にいろんな謡があって、お話にもありましたように、体がしっかりしていないと謡えないから、浅はかな技術でやろうとすると余計に全然だめな謡になってしまうところがありますね。

観世 発せられたものはその瞬間に消えてしまいますからね。しかも自分の声で再現しなければいけないということが肝要です。例えば、師匠と体が違うけれども、自分のもっている体力、声の質、勉強の仕方など、さまざまな経験でどうやって再現していくかを試みる。そして再現できなかったとしても、何らかの方法でそのイメージを捉えて発信していくのです。これこそが能が“再現芸術”であるということですね。

なるべく息子や弟子には僕が習ってきたことを伝えて…、とは思うのですが、声の質やキャラクターも僕とは全然違う。しかも能の場合はオールラウンダーとして稽古していかないとダメなんですね。だからわたしみたいのがか弱い女性なんかもやるわけです(笑)。

観世流シテ方 九世 観世銕之丞

2020年、五輪に向けて

大島 これから2020年にオリンピックを控え、能楽協会もいろいろと動きがありますね。能楽協会の理事長も務めておられる先生におうかがいです。オリンピック憲章に、開催国はスポーツだけではなく文化事業も催すよう盛り込まれていますが、オリンピックに向けて能楽協会としての抱負などいかがでしょう。

観世 仰った通り、オリンピックには文化的側面もあります。例えばロンドンオリンピックでは文化活動をすごく盛り上げて、大会前後に文化事業が開催された経緯があります。能楽界としてもこれをひとつの契機として、日本文化の中での能の役割、今までこれだけやってきた、ときちんと主張しようとしています。

能楽協会は民間の団体ですけれど、先にオリンピックにこれだけ参加しますよ、と声高に表明していると、目に留まるんじゃないかと思っています。

能楽界としては、今までのように本当に能を愛して支援してくださっている方々は少なくなっているのが現状です。能ドットコムの活動などを通して情報を得た方はそれなりに能を観に来てくださっているんですけどね。学生能、会社能などいろんなことを試みても、「能は分からない、つまらない」と先に言われたりします。ところがよくよく感想を聞いてみると、大人よりも学生さんの方が「分からなかったけれど、全然違う世界でおもしろかった」と仰います。

大島 そういうこと、私も経験あります。

観世流シテ方 九世 観世銕之丞

観世 日本の先生方はみなさん真面目だから、評価しがたいものを生徒さんに教えるのは難しいとお感じのようで敬遠されがちです。ところが、あらゆる抽象芸術というものは、“分からない”ものです。これが正しい解釈だと思ってもまた違う見方もあったりします。理解できたか、できないかで言えば、それで“理解できた”でもいいんじゃないかと思います。芸術は、分からないからこそおもしろいのであって、分かっている答えなんて本来つまらないものなのですから。

今は検索してすぐ答えがでないと満足できない習慣がつきつつあります。しかし、人間の不条理のようなことをあえて現代に提供していく能狂言というのは、瞬間に消えていくものです。瞬間的に消えていくものを、人の力でもって伝えてきたことは、日本人がもつ粘り強さや多様性を受け入れる度量があってこそ。それをまた次の時代に渡していくのです。こうした文化の象徴が能狂言。まず日本人が享受し、その上で外国文化にも触れるというのが正しい文化発信のやり方ではないかと思いますね。オリンピックのような社会の注目度が高まる時に、積極的に動いて発信すべく、頑張って主張しているというのがいまの協会の状況です。ただ、現状なかなか難しいですね。

大島 それは感じられるのですか?

観世 感じますね。日本人の今までの考え方ですと、文化は身近にあるもので、少し手を伸ばせば触れられるからいつでもいいや、という感覚だと思うんです。その考え自体はいいことなのですが、世の中のテンポが速くなり、グローバル化と言いながら急速に日本という国の文化的なオリジナリティが失われつつある時代には難しい。

そのあたりのことを、最も文化をリードする側の人達に認識してもらいながら、うまく一般の方々にもアピールできたら、とディスカッションしながら取り組んでいますが、現状はなかなか難しいです。

最低限、前回の東京オリンピックの時に開催されたオリンピック記念の日数能くらいの規模へ盛り上げつつ、各能楽堂の負担になることは避けながらやれる方法を考えなければいけない。興行の体系も、今後はもっと一般の方達が見やすいような公演の形を工夫していかなければ、と能楽協会のほうでも考えていますし、銕仙会でもよく話題になることです。そのうち、数日間の連日公演などは当然考えられてくるでしょうね。

大島 オリンピックで外国の方に向けて、ということがかえって日本国内での意識の高揚に繋がると良いなと思います。

観世 さきほどお話のように、日本文化は手を伸ばせば届くという意識が日本人の中にありますから、いつでもとり戻せる感覚はあるようで実はなかなか取り戻せない。まして、能狂言みたいな「人伝え」のものは一回絶えてしまったら終わりです。だからとにかく出合ってもらう。そして文化とは自分が参加して交わることで残すべきであることを考えてもらわないといけないわけです。

僕らもいつも大切にしているのが、海外公演の時に現地にいる日本人の方に見ていただくことです。能楽との良い出合いになると思います。

大島 海外に住んでいる現地の日本人ですか?

観世 そうです。現地にいらっしゃる方は異文化の中でずっと暮らしているので、日本人の考え方や生き方について、間違いとか正しいということだけではなく、絶えず “日本文化ってなんだろう” と感じているはずなんですね。そんな時に能狂言を観ると、ああこういうあり方もあるのか、と意識していただけるわけなんです。ですから、海外公演で初めて能狂言に出合ったという方も多い。海外に派遣されている方ですとか、駐在員、大使館の人達などは、海外公演の時になるべく観てもらえるといいのではないかと思います。もちろん、外国人の方に観ていただくことも大切ではありますが、日本人にこそ観ていただくことがわたしの大きな目的のひとつです。

大島 たしかに、海外公演先で出会う日本人でお能を初めて見ましたという方は結構多いですね。日本にいる時は意識されなかったであろう日本文化に対する気持ちが、海外で生活するなかでかえって意識されるんでしょうね。

新作能「調律師〜ショパンの能」

ポーランド・ワルシャワの聖十字架教会で公演した新作能「調律師〜ショパンの能」(ヤドヴィガ・ロドヴィッチ原作)より。ショパンの遺作である「ノクターン」に合わせた舞で、パリで客死したショパンの望郷の念を伝える内容となっている。舞台となった聖十字架教会にはショパンの心臓が埋葬されており、能とピアノの融合による美しいレクイエムが捧げられた。

能こそ原始的なコミュニケーションツール

大島 伝えていくというお話から、指導者として、後進の育成ということについて伺いたいと思います。

観世 後進の育成については、少子化ということもあって当然後継者が少なくなることがはっきりしています。一人前になるには大変時間もかかるし、能狂言に対して決して順風が吹いているわけではありません。若い役者にとっては生活することが並大抵のことじゃない。収入が少ない中で厳しい修業を続けても、本格的なお稽古をしてから15年か20年たたないと玄人としては歯が立たないわけなんです。子どもの頃からやっている人で30代くらいにようやく一人前になれる人もいますけれど、大人になってから始めた方だと10年くらいではいかにもとってつけたような技術しか身につけられません。その間の収入は、結婚は、ということを考えて弟子を育てなくてはいけないとなると、なかなか大変です。こうした理由もあり、後継者がだんだん減りつつある。一方ではすごくやってみたいという人も出てくるのですが、実際修業中には将来仕事として成り立つかどうかは保証できません。だからどこの家でも内弟子の数が今はすごく少ないですね。

大島 現代では、住み込みの内弟子はなかなか難しいですしね。生活に結びつくかどうか未知数なところで修業を積み重ねていかなければいけないのは、どうしても大変だということに帰結してしまいますね。それでも、育てていかなければという想いで後輩に伝えたい、若い方達に伝えたいことなどございますか。

観世 そうですね。能に関して言えば難しくて大変なんだけれども、自分というものを声と肉体を使って表現する方法のひとつだということ。

いろんな演劇の中でも、とりわけ能狂言の世界でプリミティブなコミュニケーションがなされていると思います。能はあらかじめ作られた台詞や形に沿って進みますが、その人がもっている深い個性が分かることがある。

昔、殿様の間で流行ったというのは、立場上本音を語りづらい殿様が能狂言をやることによって、それがたとえ数時間の交わりであったとしても、例えば「松平讃岐守様は意外にナイーヴな方じゃ」みたいなことが分かったからでしょう。

大島 ええ。

観世 饒舌ではない人でも舞台の上では能弁になりますし、その人しか持っていない個性みたいなものを味わうことができます。

言葉は大切ですが、書き言葉でも話し言葉でも100%本音とは限りません。それはひとつの道具でしかないし、あまり親しくない人と懇意に話すことは難しいものです。ですが、俳句、連歌、美術作品など文化的要素のあるものを中継点にして、コミュニケーションしていくことで繋がることはできると思います。

今はSNSなど、さまざまなツールを仲介することでコミュニケーションが取りやすくなっていますが、電子上ではなくもっと生々しいところでやってもらった方がいい。能は中継地的な役割を果たせるのです。ただ修得には、スマホよりちょっと時間がかかりますけれどね(笑)。

大島 お茶にしても能にしても型として決まったものがあるからこそ、人の個性が浮き彫りになるっていうおもしろさが日本文化にあるのかなと思うんですね。能は特に個性が出る舞台だと思って観ていただけるとおもしろいかと。

観世銕之丞氏と大島衣恵氏

型のある能に滲み出る個性

観世 能面って非常に目の穴が小さいでしょ。密室感がすごくある。ミニ引きこもりみたいな。

大島 そうそう(笑)。

観世 だから面を付けて稽古している時の方が素に戻っちゃう部分があるんです。ひとりで部屋に籠もっているような感じになる。隠しカメラで密室を覗かれている状態をお客さまに見られているわけです。だから能は、役にプラスして演者の個性、キャラクターみたいなものが自ずと見える。

お客さまはお客さまで、自分の記憶の中にある在原業平公はこうだ、紀有常の娘のイメージはこうだとか想像します。例えば駅で3時間待った、という記憶を「井筒」の待つ女の中に照らし合わせたりする。そうした思いがクロスすることが能のひとつの役目なんですよね。 僕がその役をやっていても僕自身でもないし、役そのものだけでもない。虚構のシテが立ち上がることが能のひとつの見方のおもしろさなんですね。

大島 それは新しいですね。その虚構を理解しないといけないという思い込みで“敷居が高い”と思われている方が多いと思うので。

観世 能は見慣れてくるとひとり歩きを始める。演者が虚構のターミナルを作り上げられたら、観る人もルールなしに自由に観られる。同じ演目を観ていても、皆それぞれ感じ方や観ているものは異なるのです。

大島 おもしろいですね。ある意味妄想の楽しさがありますね。簡素化された芸能なので、どこまで妄想できるか。

観世 だから引きこもりの要素がある人は能狂言を観ると楽しめると思います。お稽古することもお勧めします。ただ師匠にもよるからあまり怒る師匠だとまた引きこもっちゃうかも。

ハードルにぶつかると、いつしか自分ではない自分が立ち上がってくる。あまりに低くいハードルだと出合えない。だからあまり厳しすぎてもいけませんし、優しすぎてもだめ。後輩に教えるときにやっぱり難しいのは、もう少しひっぱった方がいいのか、離した方がいいのかの判断ですね。その人なりの声と体でやるので、やはりきちんと見極めなければと思っています。

精神力の強さもありますね。それは教える側もで、こちらが保てる体力と根気があるかどうかも大切。言えることは、自分の思い通りになることはごくわずかで、とにかく繰り返しやっていくことによって違うものが出てくる、ということ。それが大事なんじゃないかと思いますね。(第2部 終)


◀ 第1部 葛藤の末、気づいたこと



観世流シテ方 九世 観世銕之丞(かんぜ てつのじょう)
1956年、八世観世銕之亟静雪(人間国宝)の長男として東京に生れる。名は暁夫。伯父観世寿夫、および父に師事する。4歳で初舞台、8歳で「岩船」の初シテを演じる。2002年、九世観世銕之丞を襲名。2008年「平成20年度(第65回)日本芸術院賞」、2011年「紫綬褒章」受章。銕之丞家当主および銕仙会棟梁としてこれからの能界を担う存在と期待され、力強さと繊細さを兼ね備えた謡と演技には定評がある。東京および京都、大阪でも活躍するほか、海外公演にも多く参加。重要無形文化財総合指定保持者。公益社団法人銕仙会代表理事。公益社団法人能楽協会理事長。京都造形芸術大学評議員。都立国際高校非常勤講師。漫画「花よりも花の如く」監修。著書に『能のちからー生と死を見つめる祈りの芸能』がある。

インタビュアー:喜多流能楽師 大島衣恵(おおしま きぬえ)
喜多流シテ方。能楽協会会員。1974年、東京生まれ。2歳の時に広島県福山市へ転居。同年、「鞍馬天狗」の稚児で初舞台。祖父久見(能大島家三代目)、父政允(四代目)に師事。1998年より、喜多流では初の女性能楽師として舞台活動を行う。以降、海外公演にも参加し、2005年「県民文化奨励賞」、2007年「広島県教育奨励賞」、2010年財団法人広島国際文化財団より「国際交流奨励賞」受賞。

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