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能楽師に聞く

観能楽師に聞く 第3回 シテ方金剛流二十六世宗家 金剛永謹

→ 第1部 能をお楽しみいただくために
→ 第2部 基本を大事に歩んできた芸歴

聞き手:内田高洋(the能ドットコム) 写真:大井成義

第2部 基本を大事に歩んできた芸歴

初舞台から老女物まで

内田 これまでを振り返って、修業時代を含め、ご宗家の歩みをご紹介ください。

金剛 私は4歳の時、「猩々【→演目事典】」の仕舞が初舞台でしたね。生まれは昭和26年6月ですが、既に祖父(初代・金剛巌)は亡くなっておりましたから、父(二代・金剛巌)に稽古をつけてもらったんです。

初舞台を舞ったのは伊勢神宮でした。能の初シテも伊勢神宮です。この能も「猩々」で、こちらは6歳頃です。当時は、伊勢神宮に当家から奉納に行っていた時代だったんです。今のように常設舞台はなく、その時々に組む舞台で舞いました。

内田 祝言の能を奉納するというものだったんですね。

金剛 そうです。子ども時代は「小鍛冶【→演目事典】」や「枕慈童」の能も舞いましたが、子方が多かったですね。金剛家では、初面(はつおもて/初めて面をかけて能を舞うこと)は「翁【→演目事典】」という決まりごとがあります。16歳で勤めました。

シテ方金剛流二十六世宗家 金剛永謹

内田 初面を翁でなさるのは、何か理由があるのでしょうか。

金剛 儀式としての重みがあるからではないかと思います。面をかけることに対して重みがあるからこそ、初面という、大切な節目にやるのではないか。

「道成寺【→演目事典】」は20歳でした。これは、深く記憶に刻まれています。少し緊張していました。

内田 能楽師にとって、大変重要な披き物ですね。

金剛 あの時は、小鼓の曽和正博さん(幸流)も初の「道成寺」でした。

内田 「道成寺」の難しさはどういうところにあるのでしょうか。

金剛 シテの最初の出の謡も難しいですし、小鼓との乱拍子もあり、大鼓との鐘の見込みもあり、そして鐘入りもあり……。お客さまにとっては見どころの多い、シテにとっては容易に語り尽くせない難しさがあります。

20代半ば以降のことですが、他流のご宗家方との弓矢立合も印象深いですね。京都などで私の主催する会にお招きして演じたほか、神戸や東京の大きな催しなど、特別なものですから、機会をとらえて舞わせていただきました。

内田 このような特別な舞台は、見逃したくないですね。ほかに印象的だった舞台はございますか。

金剛 時は少し戻りますけれども、老人か子どもしか演じることのできない「鷺」の披きも覚えています。ちょうど12、3歳頃のことで、1歳下の金春流太鼓方の前川光長さん、2歳下の藤田流笛方の藤田六郎兵衛さんと一緒に、子ども3人で名古屋と京都の舞台に立ったのを覚えています。この「鷺」の前には「猩々乱」と「石橋」の赤獅子も舞っています。

年齢を重ねてからは、重い曲では「安宅【→演目事典】」「望月」、40歳で、初の老女物として「卒都婆小町【→演目事典】」、その後、老女物も「関寺小町」以外は舞わせていただきました。

弓矢立合(ゆみやのたちあい):「翁」の特別な演出で、三人の翁が舞台に立ち、相舞を舞うもの。もともとは異なる流儀の大夫3人が翁を勤めた。江戸時代の将軍家の謡初式などで行われていた。

綾鼓

齢を重ね演じられる重い曲のひとつ「姨捨」。2014(平成26)年12月6日上演。

鞍馬天狗

「翁」の特別演出「弓矢立合」。

演者は、力を出し尽くさなければならない

内田 宗家が、芸において大切になさっていることをお聞かせ願えますか。

金剛 一番大切にしていることは、とにかく全力を尽し、一切手を抜かないことです。能は一期一会と言いますが、お客さまにはひとつの舞台を一回だけしかご覧いただけませんから、おのずとそういう気持ちになります。

内田 そのための準備は、物凄く大変だと思うのですが。

金剛 体調管理も大事ですね。私が若い時分、観世流の先代の梅若六郎さん(五十五世)が、朝日新聞社の五流能で「盛久」を舞われたことがあります。私は楽屋にいたのですが、舞台を終えて帰ってこられた時、倒れられたのを目の当たりにしました。お能は、これぐらい体力を使い切らないと駄目なんだ、と実感しました。

お能では、やろうと思えば、手を抜くこともできるんです。でもそれをやってしまったら、もうお能ではなくなるように思います。ずっと、いろんな意味での緊張感が持続しないといけないのだと思っています。

内田 それにしても、一曲を舞って倒れる程の力の出し尽し様は、尋常ではありませんね。

金剛 そこが、お能の連続公演をできない理由でもあります。一曲に凝縮して注いでいくものが非常に大きい。そしてそれを、追い求めなければお能らしくない。力を加減していては、見ている方にも、すぐわかってしまいます。

内田 また先人から、多くのことを吸収されたと思いますが、どうでしょうか。

金剛 若い頃、熱心に拝見したのは宝生流の髙橋進さんですね。1回だけでしたが、近藤乾三さんの「綾鼓」を京都で観ることができました。先代の梅若六郎さん、今の梅若玄祥さん、喜多流の後藤得三さん、喜多実さん、金春流の櫻間道雄さん……ほかにも大勢いらっしゃいますが、名人の方々の舞台を拝見させていただきました。お囃子方では、葛野流の亀井俊雄さんの自然体の大鼓が印象深く、また一噌流笛方の藤田大五郎さんは、序之舞を吹かれた時に「まったく違う」と衝撃を受けました。ワキ方では宝生閑さんが、力の返ってくるワキでした。

内田 言葉に表すのは難しいと思いますが、諸先生方から得たものは、何でしょう。

金剛 確かに感覚的で言葉にできません。でもあえて言うなら、かっちりとした核、芯というものがあることだと思います。観世寿夫さんもそうでした。髙橋進さんにしても、力が決して崩れない中心点がありましたね。そこまで行かない人は、どこかしら、ふわっとしているように感じます。腹の力か、胆力なのか。核、芯がしっかりあった上で、外側に雰囲気を纏って出来上がっているように思います。

それと何でしょう、そう、色が変わるところがありますね。髙橋進さんの舞台で、ロンギになったりするとガラリと空気が変わる。観世寿夫さんも「阿漕【→演目事典】」のような曲で舞台の空気が変わる。普通では見られない変わり方がありました。なぜそうなのか、わからないんですけどね。

内田 そういう舞台に出逢えたら、何と幸運なことでしょうか。

シテ方金剛流二十六世宗家 金剛永謹

宗家は変わらないものを保っていく

内田 シテ方の宗家として、日頃の思いを語っていただけますか。

金剛 お能は、長い年月、随分変化してきました。ただ、変化させてはいけない部分もたくさんあります。そこを宗家が守っているんじゃないかと思います。伝統のあるものは、変わらない部分と変わる部分の両方がないと難しい。時代は変わりますから、変化も必要です。変わるところは、優秀な役者さん方が担うでしょう。一方で宗家は、変わらない部分を維持していくのが役割だと思います。ここは変えちゃいけないよ、というものを守ってきた。だからこそ、能も長く生きつづけてこられた。

内田 金剛流は、五流で唯一、京都を本拠とされています。その意義についてもお聞かせください。

金剛 私の好きなオペラは、多様さをもっています。ドイツ、イタリア、フランス、ロシアと国が違えば当然違いますし、たとえばドイツやイタリアの中だけを見ても、都市ごとの違いが大きい。その多様性がオペラの豊かさにつながっている。大事なことだと思います。お能も同じように、多様性のある方がいいんじゃないでしょうか。江戸と上方で違いがあることが、面白いんです。

東京は、江戸時代の武家式楽の名残があって、力を重視するところを感じます。一方、京都は御所を中心にお能が演じられてきましたから、貴族文化の名残でしょうか、雰囲気に柔らかさがあります。

狂言では同じ大蔵流でも、京都の茂山家と東京の山本家では、明確な違いを感じますね。お能ではそこまで違わないかも知れませんが。

内田 ふたつの流れがあることが、能に豊かさや生命力をもたせるのでしょうね。

金剛永謹氏

「基本こそが本質なんです」と語る金剛永謹氏。

金剛流能楽鑑賞入門 風姿──能を見に行こう

『金剛流能楽鑑賞入門 風姿──能を見に行こう』金剛流の魅力を、見応えある写真とわかりやすい解説で紹介する入門書。金剛永謹氏が監修。

秘伝とは基本なり

内田 能は変化する部分、守るべき部分があると話されました。それは今後の芸の伝承につながっていく話だと思います。先人から受け継いだことを、後進にどう伝えていくか、そのあたりを語っていただけますか。

金剛 京都、大阪には能楽養成会の制度があって、囃子方も含めて能楽をしっかり学ぶ場があります。シテ方は私も稽古していますが、関西の各流儀の皆さま方の努力により、この制度が非常にうまく機能していることが有難いですね。

稽古で大事なことは、基本をしっかりやることに尽きます。基本は常に変わりません。最初に身につける基本の芸、これをきちんとやることが、伝授することになるのです。

内田 基本の型や謡を、しっかり身につけるということでしょうか。

金剛 そうですね。舞はハコビから。謡は時代による変化は多少ありますが、声の出し方といいますか、普遍的なものはある。それから、腰の入れ方やカマエ、そのような基本をしっかり身につけなければ、能は舞えません。基本が身について固まってからですね、個人の芸が出てくるのは。

内田 身につけるまで、長い道のりですね。

金剛 そうです。ハコビにしてもうまくいかないことばかりで、終わりがありません。ただハコビができていけば、能は舞えるようになります。そして謡を謡えるようになれば、能は形になっていきます。私自身、基本で能を舞っている感じがします。

優れた演者の基本は、本当に素晴らしいものです。

内田 先ほどの核になるもの、芯があるというお話につながりますね。

金剛 日々の基本練習から、その芯は生まれてくるものです。

内田 結局、基本の積み重ねなんですね。

金剛 当家には、40歳を超えるまで読んではいけないという秘伝書がありますが、それを見ても、手や足の力の入れ方の基本がわずかにふたつだけ、語られています。

ふと思い出したことがあります。今の宝生和英さんの宗家継承の会で舞った後、今井泰男さんから、手の握りについてご指摘を受けて、秘伝書を思い出しました。手の握りについては、野口兼資さんがしきりに話されていたそうです。野口さんに関する能評を見ると、手がまろやかだとか記されているけれども、実際にしっかりした力が働いていた、そういう話を今井さんから伺いました。

基本を崩さずきちんと行うことが何よりも大切で、そこをしっかり積み重ねるのが稽古だということです。

内田 伝承とか秘伝とか、何か大変な秘密があるように思いがちですが、実は、そうじゃないんですね。

金剛 基本中の基本をゆるがせにしないこと。そこが緩むとすべてがまとまりを欠いていく。基本こそが本質なんです。

今の若手の人達には、やはりその基本を大切にすることを伝えたいですね。毎日の地道な基本の稽古をやりつづけることが、芸を磨くことだと。(第2部 終)


◀ 第1部 能をお楽しみいただくために



シテ方金剛流二十六世宗家 金剛永謹(こんごう ひさのり)
1951年、能楽金剛流二十五世宗家金剛巌の長男として京都市に生れる。幼少より父・金剛巌に師事。4歳で初舞台を踏み、6歳でシテを演じる。重要無形文化財総合指定保持者。1998年9月18日金剛流二十六世宗家を継承。「舞金剛」と呼ばれる華麗で躍動感溢れる金剛流独特の芸風に、「京金剛」ともいわれる優美で雅やかさが加わった芸風が特徴。シテ方五流宗家の中で唯一、関西を本拠地とする。2003年に四条室町の金剛能楽堂を京都御所の西向かいへ移転、竣工。金剛流第1回の海外公演であるカナダ、アメリカ公演団長を皮切りに、イタリア、スペイン、フランス、ポルトガル等海外公演多数。 1984年京都市芸術新人賞、1986年京都府文化賞新人賞、2004年京都府文化賞功労賞受賞。2010年京都市文化功労者表彰。 公益財団法人金剛能楽堂財団理事長。社団法人日本能楽会常務理事。金剛会理事長。京都市立芸術大学客員教授。 著書に『金剛家の面』がある。

インタビュアー:the能ドットコム 内田高洋(うちだ たかひろ)
京都大学で宝生流のサークルに入ったことをきっかけに、能楽に魅了される。以降、シテ方宝生流の謡と仕舞を中心に、森田流の笛や葛野流の大鼓の稽古にも勤しみながら、能楽全般について、実践と鑑賞そして学びの日々を送る。現在、シテ方宝生流の機関誌「宝生」の編集・原稿制作にも携わっている。

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