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能の海外交流

[1]概論 能の海外交流史

ここでは、おおざっぱに能の海外交流史を振り返ります。これを概略に、テーマや人物をピックアップして徐々に内容を追加していく予定です。

海外を源流とする能

能・狂言の歴史は、海外の芸能を源流に汲む「猿楽」が始まりです。遠く、ペルシャからシルクロードを経て、長い旅路の果て、日本にたどり着いた散楽の芸能が、猿楽となりました。そして、さまざまな芸能を飲み込み、幾多の洗練を経て、今の能楽に受け継がれていったのです。

これを考えると、もともと、能そのものが、海外の人たちも受け容れやすい、普遍的な性格をもっていたと言えるかもしれません。能の物語にまなざしを向ければ、多様な人間の感情や哲学的な問いを見ることができます。日本の私たちだけではなく、世界のいろいろな民族、国の人たちが見ても、同じように人間の素朴な感情や深い思考に触れることができるでしょう。

このように能の国際交流の歴史は古いのですが、驚くようなことではないのです。日本の安土桃山時代、16世紀ごろにはすでに、来日した宣教師たちが能について記録し、同じ時代の中国でも紹介された記録が残っています。豊臣秀吉をはじめ、戦国武将が能を好み、舞いを実践していた環境のなか、その近くにいた宣教師たちが能に親しむのは自然な流れだったことでしょう。

明治期に広がった欧米人の能研究

その後、能がふたたび世界の人々の前に、明瞭にその姿を現したのは19世紀末、明治期になってからでした。明治維新で幕府の式楽の地位を追われ、存亡の危機を迎えた能・狂言でしたが、新政府の要人ほかの積極的な後押しで長らえて、次第に盛り上がっていきます。その過程で、海外から来た教師らが能に触れ、感動し、能の文学研究に手を染める者、さらには能を習う者まで出てきました。海外の賓客を接待するために盛んに演能も行われましたので、外国人が能を見る機会も相当あったと思われます。

英国人では、日本文化の研究に偉大な足跡を残したチェンバレンが代表格です。東京帝国大学で日本語学を教え、和歌もよくした彼は、謡曲をすぐれた詩歌文学と認めた研究書を出版しました。このほか、英国軍医ディキンズ、外交官のアストンなどが研究成果を発表しています。江戸末期から英国公使の通訳・外交官として長く滞日した、有名なアーネスト・サトーもまた能に魅せられたひとりでした。

一方、米国人では高名な動物学者モースがまずあげられます。彼は、梅若実の弟子となって謡を稽古していました。さらにモースの知人で、美術研究に足跡を残したフェノローサも能に憑かれ、モースの紹介で梅若実に入門し、謡と仕舞を習っていました。フェノローサの能楽研究は非常に優れたものでした。彼の死後、大正年間に入ってから米国生まれの前衛詩人エズラ・パウンドの尽力を得て発表されました。エズラ・パウンドは、アイルランドの著名な詩人であるイエーツに心酔しており、彼にも能を紹介しました。それが機縁となり、後にイエーツは「鷹の井戸」(At the hawk's well, 1921)という能に着想を得た舞踏劇を発表したのです。この「鷹の井戸」は昭和に入ってから日本に逆輸入されるという運命をたどります。

明治末期から大正時代には、フランス人宣教師のノエル・ペリ、源氏物語を英訳した大英博物館員アーサー・ウェリーなどが、その謡曲翻訳ですぐれた業績をあげています。同時にこのころから、日本人による英文での紹介もスタートしています。能楽を幅広くサポートした池内信嘉、丸岡桂といった人たちが自らの主宰する雑誌上に英文のページを設けました。

大正時代に来日した、フランス象徴派の詩人・劇作家であるポール・クローデルは、日本に来たくて外交官になったという人です。来日後は、日本のさまざまな芸術に触れ、能についても知見を深めました。能の本質に迫るような言葉を残し、創作活動にも活かすなど、その足跡は独特の光を放っています。

1954年、イタリア・ベニスで初の海外公演

文献での紹介が主だった戦前の海外交流から一転、戦後の平和な時代になると、海外の人たちが直接、能を見る機会をもつ「海外公演」が、頻繁に行われるようになります。

戦後初の海外公演は、1954年夏、イタリア・ベニスで行われたビエンナーレ国際音楽祭への参加です。これは、本格的な海外公演としては、能楽史上初めての出来事でもありました。喜多流、観世流の合同能楽団が、欧州の地に立ち、特設の組み立て舞台で舞ったのです。イタリア国内ではテレビ放映もなされました。この公演は大成功を収め、3年後のパリ文化祭参加につながり、その後、欧州各地、米国、南米、インド、中近東、東南アジア、中国、韓国などへ公演は広がっていきます。狂言を含め各流独自に、またはいろいろな合同能楽団を結成して、盛んに行われるようになりました。こうして世界の人たちが能に直接触れ、この芸能で伝えられてきた、人間のきめこまかな感情や、仏教の深遠な哲学、凝縮された日本文化など、深い内容を楽しめるようになっています。

そして今では、能の実践に深く入り込み、能を舞い、教授する資格を得た外国人も出てきています。これからも数多くの能に魅せられた外国の人たちが現われ、能に新たな息吹をもたらしてくれることでしょう。


【参考文献】

    • 『外国人の能楽研究 21世紀COE国際日本学研究叢書1』野上記念法政大学能楽研究所編(法政大学国際日本学研究センター刊)
    • 『能楽海外公演史要』西一祥・松田存共編(錦正社刊)

 

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